思い出の街、微かな記憶。
真新しい通りを宛もなく彷徨いながら、「本能」に従い、只、無言に撮り続ける。
街に漂う異様な熱気と空気感。冷め切った欲望。生まれては消え、消えては生まれる儚い夢と幻の攻防戦。
見え隠れする、果てしないカオスの小宇宙。
今日もまた「時」だけは流れ、迷える仔羊たちは、けたたましい真昼の喧騒と変容する黄昏と共に、
その新たな「時空の歪み」と「漆黒の闇」のなかに静かに吸い込まれていく。
そう、此処に在るのは、「思考する眼球」を介して見せる「意識」と「無意識」の狭間。
ただ無常に過ぎゆく、気まぐれな「光」と「影」とが織りなす夢幻、「時の葬列」
Video Version You Tube URL: http://www.youtube.com/watch?v=ap01lQbRtDM
[作品意図]
ウェブサイトの冒頭エッセイにもあるように、日々、無常に過ぎ行く「時間」のなかで、
大都会東京に住む我々は、まるで意識と無意識の狭間を行き交う光と影のように虚しく
通り過ぎてゆくばかりに思える。そして、けたたましい騒音や楽しそうな人々の会話を
よそに、ショーウィンドーのマネキン、ポスター、人形等は、「無音(無言)」のまま、
恰も全てを見透かしたように唯ジッとこちら(=人間社会)を見ているようだ。
この60枚の作品は、当然、時間の基本単位である「60」を表していて、切り取られて
しまった儚い「一瞬の刹那」は、人々の記憶の片隅に無理矢理押し込められたまま、只、
目の前を、夢か、幻か、若しくは、無意識の世界で起こっている出来事のように繰り返
し刻まれてゆく様を、もの言わぬ単なる「無機質な存在」として表現しようとした。
又、付属のビデオ(You Tube)では、1枚目のインベーダーの写真(宇宙からの侵略者)
に最後の60枚目の写真(文字と言葉の螺旋=人間の言霊)を重ねて浮かび上がらせるこ
とでより具体的に「時間と空間の連鎖」を表現しようとした。
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最新更新日: 2011年02月03日 20:02
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